◆信徒の声◆





主によって恵みのうちに日々生かされている信徒の声を紹介します





 年度末にまとめられた「婦人会会報」より、会員の声をお届けします。
                    


    聖誕劇を観ながら思ったこと
                     保科けい子

  福島愛隣幼稚園の聖誕劇を観るのも二回目になった。年長組が総出で演じるのである。大勢の保護者の方々も静かに真剣に見入っており、ホール全体がとても素晴らしい待降節のひと時になった。
  帰宅後、四十数年ぶりにある散文詩を思い出した。現実にはとても実行できなかったが、そういう生き方をしたいと願ったこともある。作者は、関西学院や東京神学大学で旧約聖書を教えておられた松田明三郎(あけみろう)氏である。「星を動かす少女」クリスマスのページェントで、日曜学校の上級性たちは、三人の博士や、牧羊者の群や、マリヤなど、それぞれ人の眼につく役を ふりあてられたが、一人の少女は誰も見ていない舞台の背後にかくれて星を動かす役があたった。「お母さん、私は今夜星を動かすの。見ていて頂戴ねー」
  その夜、堂に満ちた会衆はベツレヘムの星を動かしたものが誰であるか気づかなかったけれど、彼女の母だけは知っていた。
  そこに少女のよろこびがあった。
 


    宗教改革五〇〇年の年に 
                    E. C.

  婦人会の一年の歩みを省みる時、主がこの小さな群を祝福し、心一つに同じ思いを持ち、旧約聖書申命記輪読箇所の学びと交わりの恵みの時が与えられ、又、賜物が活かされ、教会内行事、地区教会婦人会の奉仕が出来ましたことを感謝いたします。
  二〇一七年は宗教改革五〇〇年の年。福島地区教会婦人会の歩みにも大きな変化のあった年でした。数十年前からの定番であった世界祈祷日集会と福島地区教会婦人会総会が同一日開催形式に違いはありませんが午前、午後と切り離されたのです。世界祈祷日集会の目的は教派を超え心一つに世界中で時を同じく、同じ祈りの課題を覚えて祈り合うこと。福島地区教会婦人会総会とは異なっている集会です。十年ひと昔と言いますが、ふた昔以上前にどの様な経緯で現在の形になり今まで継続されてきたのか詳しくは解りませんが、これにより、数十年前までそうであったように礼拝を共に守り祈り合い、充分の交わりの時を共有出来ると願っています。定番であった事を変えるには勇気と決断が必要となります。今がその時、時が適ったと神様がチャンスを与えて下さり一歩前進でき感謝しております。今年の世界祈祷日集会と地区教会婦人会は、二〇一八年三月二日(金)会場は福島教会です。今年は模索しつつの開催ですが、教会の諸事情が赦されるとご案内をさしあげている福島市内の五教会、福島松木町カトリック教会、福島野田町カトリック教会、福島ルーテル教会、福島バプテスト教会、福島ステパノ教会でも将来、世界祈祷日を守り、教派を超えた交わりができることを願っています。他の教派や教会を知る事も大切で嬉しいことと思っています。



    遅すぎたと言わないために
                    K. K.

  信徒の友二〇一七年八月号の特集に『遅すぎたと言わないために』と言う記事がありました。冒頭に、ドイツのニーメラー牧師の言葉があります。要約すると次の様なものです。『ナチが共産主義者を襲った時、自分は何もしなかった。次に社会主義者を攻撃した時、やはり何もしなかった。そして学校、新聞、ユダヤ人を攻撃した時も、何もしなかった。それからナチは、教会を攻撃した。しかし、その時、すでに手遅れだった。』 
  イヴ礼拝で、保科隆牧師の説教は「平和をえるために」でした。世界のどこかで、いつも争いが起き、日本もまた、いま危うい状況にあります。私はキリスト者として、今の日本の事を考えると、何かをしなければならないのではないかと、思いあぐねております。何をすべきか見つけられずにいます。「神様、神様の望まれる平和を得るために、私たちは今、何をすべきなのでしょうか。どうぞ、私たちに勇気を与えて下さい。そしてその道を指し示して下さい。」何もしないで「遅すぎた」と言わないために。 
  


    詩編一〇三編は私の大切な聖句です
                      M. H.

  新改訳で覚えています。『私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ』不安になったり不信になると、自分に言い聞かせるように何度も呟きます。『主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな』思い巡らせば、イエスさまに出会ってからの三九年間にどれ程多くの恵みを頂いていたか次々に浮かび、感謝の気持ちが溢れます。『あなたのすべての病をいやし』体の完全ないやしは天の御国においてであると、最近学びました。それでも、神様は私の弱さや病をすべてご存知で、愛をもって支えてくださり感謝です。いつも『恵みとあわれみの冠をかぶらせ』てくださいます。『あなたの一生を良いもので満たされる』救われてから今まで、良いもので満たして下さいました。試練もありましたが、真に私にとって善いものを主はご存知だと思います。
  
  


    球根の中には
                    K. T.

  昨年のミニバザーで、水栽培のヒヤシンスを買いました。その時の球根には、芽生えの気配さえありませんでしたが、白い無数の根が水の中に生き生きと伸びはじめていました。しかし、かたく閉じた球根の中に、あの美しく香しいヒヤシンスの花が秘められているという事が不思議に思えてなりません。昨年の暮れには緑の小さな芽が出はじめ、毎日僅かずつ成長しています。サンタクロ−スのひげのように伸びた根は、水の中で白銀に輝いています。球根が白いと言う事は、白い花が咲くのでしょう。
 讃美歌21 五七五番 
 『球根の中には花が秘められ、さなぎの中からいのちはばたく。寒い冬の中、春はめざめる その日、その時をただ神が知る』 
  神様の御業に思いを寄せ、美しく咲くその時を楽しみに待っています。提供して下さった姉妹に感謝して。
 
 
 

    願うこと
                    Y. U.

  @うろたえてはならない。おののいてはならない、あなたがどこに行ってもあなたの神主は共にいる
  (ヨシュア記一章九節)
 A心を騒がせるな、神を信じなさい。そして私をも信じなさい
  (ヨハネ十四章一節)
 B思い煩いは何もかも神にお任せしなさい、神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです
  (ペテロの手紙一 五章七節)
  書道家でもある丹治正雄長老が団扇に書かれた聖句です。私が選び、頂いた五本のうちの三本の団扇の聖句です。このように神様の御言葉に与り乍ら、主なる神様を信じていると云い乍も、何かことあると心騒がせ、うろたえる私の不信仰さがここにあります。
  讃美歌21 458番「信仰こそ旅路を導く杖 弱きを強むる 力なれば こころ勇ましく 旅を続けて行かん 恐るべきものはこの世になし」と心からの信頼を寄せ、自分の弱さをしっかりと受け止め、「代々の聖徒らを強く生かしたるいのちの聖霊与えたまえ」 と祈りつつ、讃美しつつ信仰の道を歩みたいと願っています。
 
 
 

    いつになれば
                    Y. S.

  新年一月六日の福島民報新聞の一面に「感謝 音楽に乗せて」の大きな見出しをみつけました。三十一面にその詳細が記されていて、東日本大震災の時にいち早く復興支援の手を差し伸べて下さった台湾への感謝を表す演奏会が台北市で開催され、美しい演奏に称賛の拍手が鳴りやまなかったとの記事でした。県内から選抜された若手演奏者七十五名の中には、当時小学五年生で富岡町に住んでいましたが、放射能被ばくから逃れていわき市に避難し、現在は磐城高校三年の女生徒(サックス)と、当時小学四年生で、津波によって家が流され、現在は高校二年の女生徒(クラリネット)が含まれていました。あの未曾有の大震災は地震の被害、津波の被害、東京電力の原発事故による放射能被ばくの被害と二重、三重、それ以上の苦しみがもたらされた事を改めて思い返しました。早いものであれから七年になります。台湾をはじめ沢山の国々、個人の方々からのご支援とお祈りに支えていただいた七年でした。福島教会も祈られ、沢山のご支援に助けられました。主の導きによらなければあり得ない恵みです。復興もずいぶんと形に表れて来てはいますが、あれからもう七年にもなるというのに、未だに不自由な生活を余儀なくされている方々が沢山います。希望を見いだせずにいる方々が沢山います。我家の庭には除染作業でかき集められた汚染土がまだ埋められたままで、ご近所の庭には山積みのままになっています。まだまだ不安を抱えて暮らす現実があります。いつになれば安全に、心穏やかに過ごせる日に戻れるのでしょうか。今年の三月十一日は日曜日で主の日のため、東北教区主催の「東日本大震災七周年記念礼拝」は教区内八ヶ所の会場に分散して守る事となり、福島教会も会場の一つになりました。三月十一日二時四六分、犠牲になられた方々を覚え、祈りを捧げました。今もまだ苦難の中に在る被災者の上に、一日も早い本当の復興が成される事を心から願う「東日本大震災七周年記念礼拝」でした。早く安全で平和な日々が戻ります様に祈り続けます。
 

    以上  ー 婦人会会報(2018年3月31日発行)より ー
 




      創造主なる神
                      M.K.

  子供の頃、私にとって特に旧約聖書について不思議だったことは神と民との関係性でした。旧約聖書では神を信じる民は困ったことがあるとそのたびに神に助けを求め、それがかなえられると神への礼拝の心を忘れて堕落していくということが何度も繰り返されるのですが、なぜ神がこんなにもダメな人間を造ったのか、何故神はもう少しちゃんと言うことを聞く人間を造らなかったのか、不思議で仕方ありませんでした。今なら、自分が「神の全能性」という概念を取り違えていたとわかるのですが、当時の考えを押し進めるなら、即ち人間の自由意志を制限する方向に向かわざるを得ないのは明らかでしょう。
  しかし、人間に完全な自由意志を与えることこそが、天地の全てを支配する一神教の神の特質ではないかと思うようになったのは、保科隆著『神が遣わされたのです』を読んで多くの示唆を得たことによります。保科牧師はその本の「回顧七十年」の中で、日本の風土のど真ん中で伝道してきた者として、日本思想史学者・石田一良の言葉を引きながら、神道について次のように書いています。

  日本の神道の本質について石田一良は、それを次々と衣装を着替える着せ替え人形にたとえる。つまり、どのような衣装を着ても本体の人形は変わらないように、神道の本質は変わらないと考える。これは、神道が強い復元力を持っていることを現している。つまり、外来のどのような宗教や思想から影響を受けても、強力に元に戻っていく力が神道には備わっている。それは何かといえば、石田は一つは生産力の崇拝と今ひとつは生産力崇拝の封鎖性であるという。生産力の崇拝という点では、日本神話に見られる「高皇産霊命」(タカミムスビノミコト)などの「むすび」の神の考えがある。「むすび」の神は生産力の神格化である。その封鎖性は何かよくわからないが、これについて石田は日本の神は一定の空間的な固定性をもっていて、その領域の外に力は及ばないという。例えば「オオクニタマ」神社に祭られるクニタマの神は、その国に住む者たちにのみに恵みを与えるものと考えられている。だから地域の封鎖性があるという。サイの神などと言うのは、そこまでが空間的限界ということだろう。そこに日本の神道の考え方の特質が示されると石田は言う。

  これはおそらく世界のどこにもある地域的な神々崇拝の現状であり、私たちはそのような精神風土の中で、キリスト者であってもさほど違和感なく過ごしています。これはまたカナン的状況でもあり、イスラエルの民もおそらくこのような風土の中で適当に折り合っていたに違いないのです。 
  しかし、ここに人間の確固たる自由意志というものはありません。自分の住む地域が豊饒であることを願い生産力崇拝をするなら、その時々で必要な神々と交渉し、ギブ・アンド・テイクでやり取りしながら目的を果たせばよいだけです。地域の神々に五穀豊穣を願えばそれがかない、とりあえずその地域が豊かな生産性に恵まれれば満足でしょう。
  ところが、古代イスラエルの民は、神が人間というものを造った時、敢えて何でも言うことをきく人間を造らなかったと考えたのです。言われてみればあたりまえです。神が自ら操り人形のような作品を作って喜ぶはずがない。人間でさえその程度の作品では満足しない。江戸時代のからくり人形が人気を博したのはまさにそれが「意志をもっている」かのような動きをしたからです。神が自由意思をもつ人間を創造したとイスラエルの民が考えた時、創造主と被造物という人類史上初めての概念が生まれたと言うことができるでしょう。人間はこの時初めて、「創造主が、神である自分を礼拝する(あるいはしない)自由を持った被造物を造った」という途方もない考えを手にしたのです。そして人間は自分がまさに被造物であると考えることによって、人類史上初めて「創造主の神」という概念を手に入れたのです。
  これは確かに、悪霊が地域に侵入するのを防ぎ、村人や通行人を災難から守るために祭られる「さえの神」とは全く別の概念です。万物を創造した神というものは、そのあり方からして一神教にならざるを得ず、その論理的結果として世界宗教にならざるを得ない・・・ということ全部がすとんと胸に落ちました。神は敢えて自由意志を持った人間を造り、敢えてその人間に自分を礼拝できるほどの高い精神性を求めたのです。そしてさらに、知ってか知らずか神をないがしろにしたり神に反抗したりしてしまった人間に、そのことを悔い改めるという自由さえ神は与えたのだということです。子供の頃、何度も罪を犯してはそのたび悔い改める人間を「駄目な人だな」とお思っていたのですが、そうではなかったのです。それは人間の自由意志の極限の表出でした。今なお、神がそのような至高性を人間に求めていることは間違いなく、だからこそソドムの滅亡をなんとか止めようと神と交渉したアブラハムを神は高く評価したのです。ごくわずかな人数の正しい人のゆえに、大多数が罪に染まった町ソドムを赦してほしいとのアブラハムの提案は、この世の常識からすれば全く馬鹿げたことです。しかしその時こそ、ひそかに神は「それでこそ私が選んだアブラハムだ」と、心の中で快哉を叫んだに違いありません。そのような言動こそが、「人間を造った甲斐があった」と神に思わせるものなのではありますまいか。
 









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