◆牧師室より◆



「まことの礼拝」

         ヨハネによる福音書4章23〜26節
                                      保科  隆

 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時がくる。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。(23節、24節)

  ヨハネによる福音書4章1節以下に記されているのは、主イエスとサマリアの女の出会いです。出会いの場所は「ヤコブの井戸」(6節)と呼ばれるところでした。時間は「正午ごろのことである」(6節)と記されます。普通に考えると井戸に水を汲みに来る時間は朝です。ところがサマリアの女は正午ごろに、すなわち真昼の炎天下に井戸に来たのです。聖書からは季節が分かりません。しかし、もし雨期か乾期しかない季節の中での乾期であったならば正午はとても暑くて外に出れないような時間です。それでも水汲みに来たのです。なぜでしょうか。もし水汲みに朝きたならば人に会わなければなりません。この女は誰にも会いたくなかったのであります。なぜでしょうか。人の目を避けたい理由があったからです。やがてそれは主イエスの問いかけにより明らかになります。
  「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい」(16節)です。今までの二人の会話はもっぱら水についてのものでした。まず主イエスから「水を飲ませてください」(7節)と井戸で女に話しかけ、そして、「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(14節)と言われます。しかし、突然いままでの水の話とは関係のないことが語られます。対話が中断された感じです。「夫を呼んできなさい」です。ここは文章に譬えるならば「起承転結」の転に当たります。つまりそれまでの文脈とは別な話題を示し後の結論に至らせます。文章を書く上では一つの技術です。
  女はその問いに答えます。「わたしには夫はいません」(17節)即座に主イエスは問い返しています。「夫はいませんとは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたはありのままを言ったわけだ」(17、18節)
  ここに女が人目を避けて真昼に井戸に水を汲みに来た理由が示されると同時に、主イエスはこの女の暗い過去に向き合うことを促しています。なぜ五人もの夫が過去にいたのか。病死でやむなく別れたのか。そこからは想像力の世界です。おそらくはそうではないでしょう。この女の身勝手さが推測されます。いままでの井戸での主イエスとの対話からそう思えるのです。そして、そのような言葉から礼拝の話が導き出されるのです。「父はこのように礼拝する者を求めておられる」(24節)なんという飛躍でしょうか。暗い過去を持つ者への礼拝の招きです。
  私どもの一人一人の過去の目を向けるならば百人が百様の過去を持っています。誰一人として同じ過去を持つ者はおりません。そして同じく過去に戦争を体験したとしてもその経験から何を学んだのかはみな違います。しかし、主イエスは女に礼拝へ招くのです。皆違う過去を背負いながらも一人の主を礼拝することへと招かれているのです。そこで一つの神の民とされるからです。

近況および所感



会堂入り口 ぶどう畑









  6月12日(月)から14日(水)にかけて静岡県熱海市のハートピア熱海を会場にして行われた日本基督教団の新任教師オリエンテーションに部分参加しました。ハートピア熱海のある場所は伊豆山があるところで1192年に鎌倉幕府を開いた源頼朝のゆかりの地です。熱海駅からホテルの送迎用のバスで10分ほどカーブする伊豆山への道を登り、海が一望できるところです。昨年もこの場所で新任教師のオリエンテーションが行われたと聞きました。この会は長いこと伊豆の天城山荘で行われていたそうです。
  今回は「いずみ」の今迄の取り組みの報告を新任教師のためにしてほしいとの依頼をオリエンテーションを主催する教団の教師委員会から受けました。私は1978年の春に神学校を卒業しましたがこのような教団の新任教師オリエンテーションに出席しておりません。正式にはまだ行われていなかったのだと思われます。だから今回出席した方々とおなじです。最初の参加でした。
  さて、12日の朝、福島から東北新幹線を東京駅で乗り継いで東海道新幹線の大阪行「こだま」に乗りました。各駅停車です。昔の「こだま」の車両と違います。昔の700系「のぞみ」の車両を使っています。内部の座席の色も変わっていました。静岡の藤枝教会に在任した6年間の間に一年間で多い時で60回も「こだま」に乗ったことがあります。藤枝から在来線で静岡に出て「こだま」に乗り換え小田原によく行きました。東京へ出る時は静岡から一時間に一本の「ひかり」に乗りました。しかし、「のぞみ」の方は静岡県内の駅に停車しません。熱海から浜松までの6つの駅を全部通過です。一つぐらいどこかの駅にとまったらどうかとの声は昔からあり、JR東海に「のぞみ」に対しては県内通行税のような税金をかけたらどうかというような声もあったように記憶していますが今も実現していません。それはともかく東京から40分ほどで「こだま」は熱海に到着。久しぶりに熱海の駅に降りました。
  東北教区の仙台東一番丁教会からの招聘の話のあったのは2006年の夏ごろ。初めて妻と二人で11月下旬に藤枝から仙台に来たことがあります。とにかく仙台は風が冷たかったのを記憶しています。寒いことを覚悟してコートを着て来たのですがそれでも寒いと感じました。藤枝に帰るとなんと暖かいかとしみじみ思いました。今回、季節は違いますが熱海の駅に降りた時も同じものを感じました。空気が海の感じで暖かいものを感じます。
  さて、新任教師のオリエンテーションに参加した感想を記します。新任教師の数は30人から40人ぐらいでしょうか。年齢は多様です。かなりの高齢者も見受けられます。これから補教師としての准允を受けてから、さらに正教師試験を受けて合格してから教区総会で按手礼の後に牧師となるまでに3年あまりかかります。長い道のりです。また教団の教師試験は最近はかなりの難関だとよく聞きます。つまり成績が悪いと不合格になるのです。教団の常議員会で最終的には合否が決定されます。合否が決定される常議員会で「最近の試験は不合格者を多くだすようでどういうことか」との質問がありました。教師検定委員長の答えは「そんなことはありません」でした。いずれにしても高齢者の新任教師が多くなっていることは事実として感じました。それと教師試験の不合格者が多いことには何の関係もありません。
  もう一つ、一日目の夜のプログラムとして全員が参加する体を動かすゲームの時がありました。椅子取りゲームをしたときにあいた椅子に急いでいこうと思い転んで部屋の床に膝小僧を強くぶつけました。4月、5月と二度の手術を受けているので体力が落ちています。若い人たちもいる中で同じようには動けないと思わされました。今もその時の傷の痛みがなくなったわけではありません。