◆牧師室より◆



「憐みによる勧め」

         ローマの信徒への手紙12章1〜2節
                                            保科  隆

 こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(1節)

  ローマの信徒への手紙は全体が1章から11章までと、12章以後とで二分されると考えられています。前半は教理が語られ、後半は倫理が語られています。別な言葉に言い換えるならば前半はキリストを信じる信仰とはどのようなものか、後半はキリストを信じる信仰によってどのようにこの世において生きるのか、が語られていると言えます。12章の冒頭に記される「こういうわけで」との言葉は、今までこの手紙ではじめからパウロが語ってきたキリストを信じる信仰に基づいて「こういうわけで」と言っているのです。
  そして、12章以後の所ではその信仰に基づいて勧めの言葉が語られます。どのような勧めでしょうか。一言で言えば自分の体を神に献げるようにして生きていきなさい、ということです。体という言葉には注目したいものです。教会はキリストの体と言うときの体です。また主イエスが十字架で死なれる前の晩にゲッセマネと言う場所で祈られた時に、弟子たちが眠り込んでしまったのをご覧になり、こう語りました。「目を覚まして祈っていなさい。こころは燃えていても、肉体は弱い」(マタイ26章41節)人間が体を持っている存在であることを思うときに、み言葉を読みながらその体は何を示すのかといつも考えます。それは、主イエスが祈っておられる時に目覚めていることが出来ずに眠りこけてしまうような体であるということです。そのことは、とりもなおさず人間は弱さを持っている存在であることを示します。人間、誰しもが強くなりたいと思っています。だれよりも速く走ること。100メーターを10秒を切る走りをすること。そして、だれよりも高く飛ぶこと。また、だれよりもものを遠くへ飛ばす事を競うのが陸上競技の世界です。この世界では弱い者は敗者になります。今回は負けましたがこの悔しさをバネにして次回はもっと強くなります、とはいつも語られるスポーツの世界の敗者の言葉です。
  しかし、一方で競技場でのたとえを用いて「あなたがたも賞を得るように走りなさい」(Tコリント9章24節)と語るパウロはここで言うのです。「自分の体を神に献げなさい」と。弱さを根源的に示す自分の体だからこそ、その弱い体を神にささげてキリストを信じて生きるようにと勧めています。仏教では煩悩即菩提と言います。迷いの中にある者でありながら菩提という悟りの世界に生まれているということでしょう。キリスト教の立場からすれば体をもつ弱さの中にありながらみ言葉を一生涯読み続けていくことにつながるようにも思います。しかし、根本的に違うのは体をもつ弱さを煩悩という言葉に置き換えてみて、それはそのままで菩提とはなりません。弱さはあくまでも弱さとして見つめられています。そうでなければパウロの言う賞を得るような走りは出来ません。大切なことは、自分が弱い体を持つものでありながらも「これこそ、あなた方のなすべき礼拝です」と言われるような礼拝へといつも神が招いてくださっているということです。そのような神の招きが弱い自分にもいつも示されるのです。
  
 

近況および所感



会堂入り口 松川に飛来した白鳥と水鳥たち









  2018年を迎えました。この一年の皆さんそれぞれの信仰と生活が守られますようにお祈りいたします。
  新年になって1月9日(火)から10日(水)の二日間、北海道の札幌の郊外にある定山渓で開かれた北日本宣教会議に出席した。北日本宣教会議は北海、奥羽、東北の三教区で隔年ごとにテーマを決めて会議を開くものです。今回は北海教区が担当で札幌が会場になりました。冬の北海道に行くときには心配なことがあります。仙台空港から新千歳空港に飛ぶ飛行機が予定通りに飛んでくれるかです。今までにも何回か仙台空港から冬の北海道へ飛行機で行ったことがあります。そのたびに空港で同じアナウンスが入ります。「ただいま新千歳空港周辺は雪のため新千歳空港行の何便の飛行機は着陸できない場合があります。その場合は仙台空港に引き返すことがありますのであらかじめご了承ください」。その言葉が何回も繰り返してアナウンスされます。引き返すと言われてもそのあとはどうすればいいのだ。そんな考えにいつもなります。心臓に悪いです。今回は、そのアナウンスを聞くことがありませんでした。つまり、それだけ天気に恵まれた二日間だったのです。
  さて、北日本宣教会議へは東北教区から私を含めて3名が出席した。奥羽教区も同じく3名でした。担当教区の北海教区は20名あまりで、その中の数人は教区内に「小規模教会協議会」という名前の集まりがあり、その担当委員をしているとのことでした。また、自主参加の方々が三教区以外の教会から何人か参加していた。会議のテーマは「小規模教会の課題」ということです。まず「小規模教会」とはどのようなことをいうのかが会議全体の中で話題になりました。定義があいまいではないかと言う発言もあったからです。北海教区の発題者からは北海教区の新しい小規模教会の支援の取り組みが紹介されて小規模教会の定義が示されました。そこでは「@現住陪餐会員が概ね30名以下の主任担任教師不在の教会で、各地区において支援の必要性が認められた教会。A担任教師が他教会の代務者についている教会で、各地区において支援の必要性が認められた教会」となっているとのことでした。
  そして、北海教区の具体的な小規模教会支援のケースが語られました。例えば、日本の最北にある稚内教会は現在、無牧師になっていて現住陪餐会員21名の小規模教会です。この教会を支援する隣の教会の興部伝道所は14名です。どちらも小規模教会にあたります。それで、隣の教会であるため興部の牧師が稚内教会の代務をしています。稚内から隣の教会の興部まではオホーツク海岸沿いの道で200キロ離れているのです。車で片道4時間かかるそうです。牧師は毎月一度土曜日に稚内教会に出向いてその日は宿泊して主日礼拝を守り役員会の議長をして興部へ戻るというのです。それ以外の日曜日の礼拝は毎回土曜日には届くようにDVDを送るようにしていて、稚内教会員はそれを見て礼拝しているということです。隣の教会を支援すると言ってもそのように北海道は広いということが北海教区の方々から何度も語られました。私も以前に稚内教会を訪ねた時に新千歳から稚内行の飛行機に乗り換えた覚えがあります。道内を飛行機で移動するほどに広い地域の北海教区が小規模の教会をどのように支援する体制をつくるのか、その課題の共有が今回の会議の主催者の目的だと思います。
  私も30分ほどで東北教区の小規模教会の現状とその支援の取り組みとして教区が生み出した宣教共働の考え方について説明をしました。話をしながら宮城県でも仙台市を除いた宮城県と山形、福島の教会はそのほとんどが北海教区の考える小規模教会の枠の中に入るように思いました。現状陪餐会員が5名以下の教会が9あり。5名以下で礼拝を守っている教会が12あるのです。